ノーマン・リーダスは、ウォーキング・デッドのダリルの影響でワイルドなイメージを持っています。
ノーマンの若い頃はどうなんでしょうか?
若い頃はかっこいいモデルをしていました。
ノーマン・リーダスの若い頃についてみていきましょう。
ノーマン リーダスは昔はイケメンモデルだった
ノーマン・リーダスは若い頃、PRADA、Durban、LEVI’s、GAPなどのファッションモデルを務めていました。
ノーマンリーダスが務めたファツションモデル
1997年にはノーマンはPRADAのモデル
ノーマンのモデル姿、とってもかっこいいですね。
2000年から2004年までは、ノーマンはDurban(ダーバン)のモデル
Levi’s のモデル
ノーマン・リーダスの着用ブランドは、ジャケット:Zegna、ジーンズ:Levi’s
Levi’sの広告:I’m a T-shirt-and Levi’s type of a guy.(私はTシャツとLevi’sの似合う漢)
Levi’sのモデル時代1997年にImpalaの漢のCMでノーマンが出演しています。
ノーマン・リーダスの若い頃は、さすがモデル。かっこいいですね。
ノーマンリーダスの若い頃の私服姿を画像で紹介
ノーマン・リーダスの若い頃の私服画像もすてきです。
若い頃は左頬にホクロがトレードマークになっていますね。
ウォーキングデッドのダリル役をする頃には、ホクロは薄く気にならなくなっています。
ノーマン・リーダスのプロフィール
ノーマン・リーダスは、シチリア人の父 Ira Norman Reedusとイギリス人の母親マリアンとの間に1969年1月6日にフロリダ州ハリウッドで生まれました。
ノーマンの若い頃は、テニスに夢中でテニスの才能もありました。
12歳でテニスアカデミーに入門した腕前でしたが、次第に飽きてテニスをしなくなったそうです。
ノーマンリーダスは若い頃に日本に住んでいた
ノーマンの両親は離婚し、母親のマリアンがノーマンと妹のレスリーを育てました。
ノーマンの母親マリアンが再婚して日本に住むことになったため、ノーマン16~17歳の頃、母親と一緒に日本に移住。
ノーマン・リーダスが住んでいたのは、千葉県習志野市本大久保でした。
ちなみに、ノーマン・リーダスは富士山登山を楽しんだり、原宿でバンド巡りをしたり、キティちゃんを見て回りました。
ノーマンがウサギ好きで、日本のかわいい文化に通じる感覚は、日本にいた青年時代に培われたかもしれませんね。
ノーマン・リーダスの俳優への道
ノーマン・リーダスは、英国やスペインに移り住み、絵描きをしていました。
その後、ノーマンは、米国に戻り、カンザス州のBethany Collegeに入学しますが、通ったのは1学期だけだったとか。
その後、LAのハーレーダビッドソンに時給$7.5ドルで勤務しながら、絵描きと写真家をしていました。
ノーマンがモデルを始めたのは、画材代を稼ぐ為だったとのことです。
モデルを始めたおかげでしょうか、あるパーティで大きなサングラスをかけて大声を出していると、ある人に劇に出演しないかと誘われます。
これがきっかけで、ノーマン・リーダスは俳優の道を歩み始めるのです。
ノーマンの最初の出演は、ティファニー劇場で公開された「Maps for Drowners」でした。
ノーマン・リーダスの出演映画はこちらにまとめています。
▼ ▼ ▼
ノーマン・リーダス出演映画
ノーマンがバイクで巡る旅番組で日本に来たときの記事はコチラ
▼ ▼ ▼
ライド WITH ノーマン・リーダス